パロディ、二重の声ー日本の一九七〇年代前後左右
前回の投稿から時間が経ってしまいましたが。
引き続き、無料ウィーク中に訪れた東京駅付近の美術館散策。
お次は、東京ステーションギャラリーのパロディ展。
横尾さんの東京オリンピックポスターのパロディがど~んと!
館内撮影自由ということで、今回はいつもよりも華やかなページになりそう。
入り口には、世界の有名な絵画の人物が両手を膝においておすまし顔で並んでいる。モナ・リザのパロディ!
《湖畔》なんて、本当にこんな構図でありそう。全て、レオ・ヤマガタさんのモナリザシリーズ。
こんな感じで全48作品が私を出迎えてくれる。
この企画展の意図は、1970年代に日本で社会的に流行したパロディに視点を向け、そもそもパロディとはなんだったのか?を問いかけている。会場内はとにかくパロディだらけ。アイデンティティが詰まった作品であるのに、オリジナルであってオリジナルなのではないのだからわけが分からなくなる。(いい意味で)
思えば一度にこんなに赤瀬川原平さんの作品や、横尾忠則さんのあのカッコいい感じのポスターを一度にあんなに見たことがなかったので良い機会だった。しかし、基本的に二人の作品は撮影禁止だった。残念。
個人的には、横尾さんのアンリ・ルソーの作品をパロディ化した作品がおもしろかった。
ルソーの神秘的で明るい絵が、横尾さんの手にかかると暗く青白い色で塗られ、描かれた人物や動物に何かが起こる。
《眠るジプシー》は、本来ならばライオンの隣で女性が横たわっているのだが、こちらのパロディはライオンが女性を食いちぎっている。
《フットボールをする人々》は、本来ならば、タイトルのとおり、フットボールを楽しむ囚人(黒い縞々模様の服を登場人物が皆着ていたから私はそう思った)が描かれている。しかし、展示されている作品は自らの頭部をボールにしてフットボールをしている。
どこか毒気があり、見ているこちらを不安にさせるかのような作品であった。
こちらは虹色の作品でおなじみ、靉嘔。去年の夏にセゾン現代美術館(長野県)で初めて作品を見たのと、現代アートの授業でもピックアップされていたこともあり、再びお会いできて嬉しい。
まるで絵の具チューブからうにゅ~んと出したかのような不思議な構図。
この作品、よく見てみるとゴーギャンの聖書の主題にも通ずると言われている《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》のパロディ!
階段を降りて、第二展示会場へ。こちらでは、主に雑誌や漫画など大衆向けの身近なパロディが展示されている。
この謎なキャッチフレーズ。この表紙は後ろに、POLAのネオンが。だからしろくまかな?
近くにいたおじさんが「昔こんな雑誌あったな~!」と懐かしんでいた。私のお父さん世代には馴染み深いものばかりかも。
つげ義春さんの「ねじ式」をパロディ化されたものも数多く展示されてあった。
バカボンのパパ・・・!
私の通う某大学の教授はつげさんの大ファンで、多くのインタビュー記事につげさんを語る姿を見かける。(と言えば、勘の良い美術好きさんに大学名がばればれ)
私も読んでみて、トラウマになった自分の中の問題作品。あの異世界から漂う匂いというか、雰囲気というか、大学の図書館で何となく手にとって読んだらうかつに手にとるもんじゃないな、と大後悔した作品。(ファンの方、ごめんなさい)こんな小娘がよんで一筋縄ではいかない読めば読むほど、難解な作品なのだと思う。
あの腕を押さえている主人公がパロディでも生かされていて、突然あの主人公が描かれているところもあっておもしろい。中には、お医者さんではなくて、トイレを探してるパロディもあったなあ。
今の世にもパロディはあるが、昔に比べてかなり扱いが厳しくなったはず。著作権とか、モデルの名誉毀損とか、どこまでが許せるのか線引きがかなりシビアになっている。
中には「よくこれ怒られなかったなぁ・・・」というようなパロディや記事もあり、昔のパロディという流行がいかに人気であったかがよく分かった。
私は生きていない時代の雑誌や漫画だけれど、どことなく懐かしく、その時代を生き延びていた人を羨ましくも思う。パワーがあって自由。そんなエネルギッシュな雑誌が多く、中には自由に読むことのできるコーナーもある。
パロディ展は4月16日まで。館内は東京駅の赤レンガがむき出しになっている壁もあり、内装そのものもおもしろいのでぜひ。