石内都~肌と写真~-横浜美術館
大分日が経ってしまいましたが、またぼちぼち書いていこうと思います。そして、今年もたくさんの展覧会を見ていきたいと思います。
今回は横浜美術館で開催されている「石内都 肌理と写真」展へ。
肌理はキメと読みます。石内都(1947~)にとっての肌理とは写真に入り込む粒子の粒と被写体の表面を意味しているのです。
この展覧会は石内さんの独学で写真を勉強し、デビューから40年を記念したもので、作品もかなり多い。
振り返ると、2017年度は自分の中で写真に関する展覧会はかなり見てきた方だと思う。(写真専門の方に比べればしょぼい数ではあるけれど・・・)
東京都写真美術館のダヤニータ・シンさんや、新人作家を発掘する写真新世紀展、荒木経惟さんはオペラシティと写真美術館と両方見た。アラーキー(荒木経惟)は特に好きな写真家で、亡き妻・ヨーコさんの「センチメンタルな旅」は切なくて胸が締め付けられそうだった。また、横浜トリエンナーレでは畠山直哉さんの作品も初めて見たりして今まで踏み入れてこなかった新ジャンルに挑戦した年でもあったなあ。見逃した展覧会もほかにたくさんあったけれど、写真の面白さに気づいた年度でもあった。
さて、本題に。
実は今回の展覧会で初めて石内さんの存在を知った。
もらったフライヤーもなんだかくしゃくしゃになった服がポツンと撮影された写真で何を意味しているのかも分からず訪れたが、見応えのある面白い展覧会だった。
横浜美術館自体、写真作品もかなり所蔵している美術館で(常設展には写真専用の展示室があるほど)去年も篠山紀信さんの展覧会の巡回会場にもなっていた。そんな写真にも力を入れている横美で担当学芸員さんのお話を聞きながら展示を見てきた。
石内さんの被写体は時間の積み重なりで物の姿が変わっていく瞬間のもの。
例えば、昭和の遊郭が並んでいる町並み(写真に収める頃には売春防止法で遊女は実際に住んでいなかった)、廃墟、米軍居住地の跡など。
展示室に入って最初はこれら初期作品が展示されている。廃墟って実際に踏み入れるのは嫌だけれどこうして写真を通してみてみると、何とも不思議な気分がする。こんなにボロボロで今にも崩れそうだけれど、かつては人が住んでいたという事実を背負っている。石内さんが大切にしている時間の積み重なりが顕著に表れる被写体だと思う。
ほかにもデビュー前の作品である金沢八景の日常を撮ったものも。
石内さんは写真を撮ることももちろんであるが、暗室作業が撮ること以上に好きだそう。特に金沢八景のシリーズは写真をプリントすることに重きを置いて活動していたそうだ。
特に良かったのは、女性の身体に残る傷を被写体としたシリーズ。傷って男女の間で価値観が全く違う。男性にとっては勲章で見せたいもの、女性にとっては恥ずかしくて隠したくなるもの。石内さんはそこに目をつけ、女性の隠したがる傷に美しさを見出し、20年以上撮り続けている。
解説を聞いて初めて知ったんだけれど、赤ちゃんの頃にできた傷って、体が成長していくにつれて傷も大きくなっていくんだって。石内さんは傷を人間と共に生きる証として大切に撮っているそう。傷も時間の積み重ねなのである。展示室には大きく引き伸ばされたヌード写真。体にはどこかしらに傷がある。撮られているのは小さな傷ではなく、かなり大きく痛々しい傷。隠すのも大変なものもあった。これらは隠したがる人が多くて写真を断る人も多かったのだけれど、石内さんが写真を続けていくうちに、自ら撮ってほしいと希望する女性がどんどん増えていったらしい。凛としたカッコいいヌード写真の数々だった。
最後の展示室には、フリーダ・カーロの遺品と、広島の原爆で被爆した遺品を撮った写真が勢ぞろい。
フリーダ・カーロ(1907~1954)はメキシコ出身で生涯体のケガに苦しみ、寝たきりになっても自画像を描き続けた女性画家。私も大好きな作家の一人だ。
石内さんはフリーダ美術館からの依頼を受け、実際に美術館(フリーダが住んでいた家)で撮影したそう。横美で展示されていたのは、お気に入りだったメキシコの民族衣装やかわいらしい靴でおしゃれなフリーダの性格がよくうかがえる。
また、脊椎を悪くしていたフリーダには欠かせないコルセットの写真も展示されていてフリーダの「リアル」が見れた。コルセットには土鎌のマーク共産党のシンボルが描かれていて、フリーダ自身が政治に意欲的であったことが分かる。
中でも学芸員さんが言っていた印象的だった話は、靴の写真に写る木漏れ日の話。石内さんの写真は全てフィルムであり加工はできない。フリーダカーロ美術館の外で撮影を行っていた際にたまたま木漏れ日が入り込んだそうで、現像して初めて光が入っていたことに気づいたそうだ。そんな偶然によって、優しい光がフリーダの靴を包み込む素敵な一枚になっていた。
広島の遺品の作品については、元々石内さんが撮れないと思っていた被写体だったそうだ。多くの写真家が被写体としてきたけれど、痛々しく思わず目をそむけたくなるような写真で撮る自信がなかったそうだが、石内流の広島の写真をついに見つけることとなる。それは初めて見た原爆ドームを「なんだか小さくてかわいい!」被爆したワンピ―スを「カッコいい!」と感じ、今まで見てきた広島の写真に縛られすぎていたことに気づいたことがきっかけだった。こうして、石内さんは数々の被爆した衣料品や化粧品を撮影していくのである。
こういった悲しい記憶を持った遺品や写真の数々を軽率に見てはいけないけれど、当時の人々が着ていた服の柄がとてもかわいらしかった。おしゃれでモダンな柄で、あの戦争の大変だった時代にもこんなにかわいらしいワンピースを着ていたことにちょっと驚いた。戦争の作品で初めて「かわいい」という感情を抱いたかもしれない。
美術館のフライヤーに写っていたあのワンピースはここの展示室の作品であったことに気づく。あの時はなんの写真か検討もつかなかったけれどこういった意味だったんだな。
横浜トリエンナーレが終わってからの展覧会だったので、横トリフィーバーも冷めたような落ち着いた展覧会だった。石内さんの作品も決して明るくはないものも多かったし。鑑賞者が全然いなくてもうちょっと認知されても良いかとも思ったけれど、私が空いている美術館が何よりも大好きなのでゆっくりと石内さんの世界に浸りながら鑑賞することができた。
また、常設展では横浜美術館が所蔵するシュルレアリスム作品がすべて展示されている。まあ、しょっちゅう展示されている作品もあるけれど、マグリットもダリもベルメールもなんでもあるのでシュルレアリスム好きな人には穴場の超豪華な常設展です。その上空いているし写真も良し!
写真の常設の展示室では、横浜美術館が持っている石内さんの作品を使った「絶唱 横須賀ストーリー」展にちなんだ横須賀に関する作品がてんこ盛り。横須賀の光と影の影の場面がフォーカスされたおもしろい写真。実際に石内さんが子供時代に住んでいたという町でもあるよ。
写真って結構見るのが難しい(と私は思っている)ので、学芸員さんの話を聞きながら見ると面白い。
ぜひ、学芸員さんの解説を求めていくのもアリです。
展示は3月4日まで。